推し活だけは、自分のためになる|30年続けて分かったこと

気がつけば一日じゅう、妻の顔とママの顔をしている。そんな毎日を過ごしていませんか。

仕事をしているのも、結局は家庭のためです。自分のためだけに何かをした記憶が、結婚して子どもができてからほとんどありません。

そんな中で、ひとつだけはっきり「これは自分のためだ」と言えるものが推し活です。

学生のころから数えて30年、私はずっと誰かを推してきました。楽しい日もあれば、悔しくてたまらない日もありましたし、推すのをやめた経験だってあります。その30年で分かったことを、今日は書いてみたいと思います。

この記事でわかること
  • 推し活が「自分のための時間」になる理由
  • 30年で変わったことと、変わらないもの
  • しんどい日に、推しが助けてくれた話
  • 推すも降りるも、自分で決めていい
目次

推し活だけは、自分のためになる

30年推してきて、いちばん強く感じているのはここです。推し活だけは、まっすぐ自分のためになってくれます。まずはその話から始めさせてください。

妻の顔とママの顔でいる日々

今の私は、一日の大半を妻とママとして過ごしています。誰かのごはんのことを考え、誰かの予定に合わせて動く。働いているのも、家庭を回していくためです。

それが嫌なわけではありません。むしろ、そういう役割を持てているのはありがたいと思っています。ただ、ふと立ち止まったときに気づきます。自分のためというのが、結婚して子どもができてからないのよ、と。

買い物に行っても、まず家族のものを見てしまう。時間ができても、たまった用事のほうが先に手を上げる。自分のためのものを選ぶ回路が、いつのまにか後ろのほうへ下がってしまったような感覚です。同じ感じ、ありませんか。

稼いだお金を、自分のキュンに

推し活は、私が私のためだけに使える、たったひとつの時間です。誰かのためでもなく、役割のためでもありません。

自分がキュンとする推しのために、自分が稼いだお金を使う。書いてみると単純ですが、この生活が本当に嬉しいです。家族のために働いた同じ手で、自分の「好き」に使えるものが少しだけ残っている。その少しが、私の一日の背筋を伸ばしてくれています。

まとまった時間が取れなくてもかまいません。移動中に一曲聴くだけでも、その数分はまぎれもなく自分のものになります。推し活の時間がなかなか取れないときの続け方については、こちらで詳しくお話ししています。

推し活を始めた30年前のこと

そもそも私は、推し活とはいちばん遠いところにいた人間でした。好きな人ができて、生活のリズムがまるごと変わった経験はありませんか。私の場合は、ドラマの予告編にうつった一瞬から始まりました。

テレビを見たくて勉強を凝縮

学生のころの私は、いわゆる優等生でした。毎日学校へ行って、帰ったら予習と復習をして、また学校へ行く。そのくり返しで一年が過ぎていくような日々です。

そこへ友達が「すごくカッコイイ人がいるから見てよ〜」と言ってきました。そのときは軽く聞き流していたのに、次のクールの予告編でその人を見た瞬間、心臓がぎゅっとなりました。あれが私の始まりです。

困ったのは、成績は落としたくない、でもテレビは見たいという板ばさみでした。そこで私が選んだのは、勉強時間を短くして中身を凝縮させるやり方です。ダラダラ広げていた時間をぎゅっと縮めて、すきま時間も拾って、成績は落とさないまま見たい番組を見る。今ふり返っても、あのころの集中力はすごかったと思います。

推しがいなかったら、私はただの真面目さんで終わっていたはずです。しかも真面目なだけで、たぶんダラダラ勉強していました。そうなったら、間違いなく成績も落ちていたと思います。

働いて、つぎ込んだキラキラの日々

高校生のうちはアルバイトができなかったので、コンサートやイベントに会いに行けませんでした。それがずっと悔しくて、「大学生になってアルバイトをしたら、絶対に会いに行こう」と心に決めていました。

社会人になってからも、やっていることは同じでした。コンサートに行くから休みを取る、そのためには仕事を期日より早く終わらせる。すると不思議なもので、会社での評価まで上がっていきました。仕事そのものも楽しくなっていって、良い意味でぐるぐると回り始めた感じです。

推しのために働いて、稼いだお金をつぎ込んでいた。最高にキラキラした日々でした!

週末になると、推しのグッズが買えるお店に並んでいました。予約もいらず、3時間ほど待てば入れた時代です。お店に行くだけで推しに会った気分になれて、それだけで最高でした。今はすべてが予約制になって、あの行列はもうありません。暑い日も寒い日も並んだあの時間は、楽しかったなあと思います。でも年を重ねた身には、並ばなくていいのは体力的に天国だったりします(笑)。

推し活がしんどかった時期もある

ここまで読むと、いいことばかりに見えるかもしれません。けれど30年もあれば、思うようにいかない日だってあります。むしろそういう日のほうが、記憶に残っていたりしませんか。

行けなかった、記念の海外公演

推し活は、いつでも同じようにできるわけではありません。若いころの私はめちゃくちゃお金をかけていましたが、結婚して母になると、さすがにそこまではかけられなくなりました。

最初はそれが辛くて仕方がありませんでした。同じように応援しているつもりなのに、手の届く範囲だけがどんどん狭くなっていく感じがして。今はもう受け入れていますが、受け入れるまでにはずいぶん時間がかかりました。

いちばん堪えたのは、記念の海外公演に行けなかったときです。ちょうど子どもを産んだばかりでした。母乳をあげていたので、私がいなくなるわけにはいきません。行きたい、でも行けない。頭では百も承知でした。

悔しくて、悔しくて。でも推しに会えない。あのときの気持ちは、辛すぎたという言葉のほかに置きかえようがありません。

仕方のないことは、やっぱり仕方がないのだと思います。そのときの自分にはどうにもできない事情があって、選べる道は最初からひとつしかなかった。あの公演にはもう二度と行けませんし、あの悔しさが消えたわけでもありません。

1曲聞いたら、そこまで歩こう

その一方で、推しに助けられた場面もたくさんありました。日常のほうが先です。

自分のせいではないのに「ちゃんと見てないからだろ」と理不尽に怒られたことがあって、心の中では「えぇぇぇ〜…意味わかんないじゃん」と叫んでいました。それでも顔に出さずにいられたのは、「よし、帰ったらコンサートのDVDを見よう」と決めたからです。その場さえやり過ごせば、帰ってから癒してもらえる。そう思えると、不思議なくらい耐えられました。

もっと強く感じたのは、コロナ禍に10日ほど入院したときです。手術のあと、傷が痛むのに歩かないといけない期間がありました。一歩ごとに痛いのに歩けと言われるのが、正直いちばん辛かったです。それでも体力を戻さないと帰れないことは分かっていました。

そこで私が考えたのが、この決めごとでした。1曲聞いたら、ナースステーションまで歩いて帰ってこよう。イヤホンから流れるのは、いつも聴いていた推しの曲です。一曲ぶんだけ、と自分に言い聞かせて廊下をとことこ進む。それをくり返しているうちに、気づけば歩けるようになっていました。

もちろん、回復の仕方は人それぞれですし、私の場合はたまたまそうだったという話です。医療の専門家ではありませんから、効くとか治るとかいう言い方をするつもりもありません。

ただ、あのとき自分の足を前に出させたのが推しの一曲だったのは確かです。推し活ってすごいなあ! と本気で思いました。

推すも降りるも自分で決めていい

30年のあいだには、推すのをやめた経験もありますし、推しがいなくなる日も来ました。それでも推し活が終わらないのは、なぜだと思いますか。どうしてそうなったのか、最後にお話しさせてください。

「あれ?」に正直になった日

推しが活動の形を変えたときがありました。応援を続けようと思えば、続けられたと思います。

ただ、私が好きだったのは「あのころの姿」でした。続けようとするたびに、自分の中で「あれ?」という気持ちが小さく手を上げます。しばらく迷って、そちらのほうが本音だと思ったので、私は降りました。世の中でいう担降りだと思います。

それでも、グループのファンではあり続けています。当時の映像は今でも見ますし、見れば同じところで嬉しくなります。降りたからといって、好きだった時間まで消えるわけではありません。

こうした気持ちの動きを家族に言いにくいと感じるときの向き合い方は、こちらにまとめました。

いなくなっても、推していける

そして今、私の推しはもういません。ラストコンサートは遠くの会場で、ひとり参戦でした。信じられないくらい目が腫れるまで泣いて、帰り道の自分の顔はひどいものだったと思います。

それなのに今は、本当に「ありがとう」と思えています。いなくなってしまったけれど、私はこのまま推しているつもりです。テレビを見ればキュンとしますし、街で音楽が流れれば相変わらず心が動きます。だから、いなくなったのではなくて、今もちゃんと自分で楽しめている。そういう感覚のほうが近い気がします。

買ったコンサートグッズも、まだ手元に届いていません。年明けに届くので、それも楽しみのひとつになっています。それに、テレビを見ながら「かっこいいな」と思う人が、またきっと出てくると思います。もともと推し活をしてきた人間ですから、そうなったらまた新しい人を推すかもしれません(笑)。

「推しは推せるときに推せ」という言葉があります。誰が言い始めたのかは分かりませんが、30年たった今なら、その意味が体でわかります。推すも降りるも、続けるも休むも、全部自分が決めていいのだと思います。これから推し活を始めてみたいと思ったときの最初の一歩は、こちらでお話ししています。

まとめ

  • 妻とママの顔で過ごす毎日の中で、推し活だけが自分のための時間になる
  • 推しがいたから、勉強も仕事も凝縮できた
  • しんどい日に、一曲ぶんの力をもらえた
  • 推すも降りるも、全部自分が決めていい

この年で推し活していいのかな、と迷っている方もいらっしゃると思います。好きなら推せばいいのよ〜、というのが30年やってきた私の答えです。コンサートに行ったら恥ずかしい、なんて思わなくていい。自分が好きだと思う気持ち、それが推し活ですから。

遠征して追いかけている方も、テレビの前でキュンとしている方も、私にはどちらも同じ推し活に見えます。行ける日もあれば、行けない日もある。お金をかけられる時期もあれば、そうでない時期もある。それでも好きは続きます。

コンサートに行けないから推し活できない、じゃなくていい。キュンってする気持ちが、もう推し活だよ。私はこれからも、そうやってキュンとしながら生きていきます。

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